「パッション、晴美によるところの」1999年2月28日 Diario de Jerez紙

 51歳を数えるが、30歳にしか見えない。秘訣は何だろう。ツルの肉でも食べているのか?それとも中国の食事?もちろん、そのどれでもない。何の秘密もないし、特別な注意もはらっていない。ただ、彼女はベジタリアンではある。ヨガをやる。郊外に出かける。ピアノを弾く。スポーツもする。冷たい水とお湯のシャワー。そして、もちろん踊る。たくさん踊る。

 そう、彼女はこの界隈を、日本人のパスポートとヘレス女の魂をもって歩く。彼女はすでに街の風景の一部になっている。彼女こそ、われわれが最近街角で見かける日本女性たちの、真の草分け的存在なのだ。だからこそ、ハルミは「特別」に値する。 話を進めよう。ヒグチハルミ(樋口晴美)は日本人であり、東京大学教授の妻である。彼女の夫は天皇陛下とも交流があり、彼女を日本から経済的に援助し続けている。

 彼女は妹のジュンコ(淳子)をはじめ、すべての家族や友人をかの地に残してきた。約束された快適な生活を、フステイシア通りの借家とネコのミミ、そしてフラメンコと引き換えにしたのだった。なぜなら、フラメンコこそが彼女の人生であったからだ。フラメンコのために彼女はきびしい決断をくだし、かたい決意をしたのだった。

 ハルミはいう。「ヘレスに着いたとき、ほかの場所では生きられない、とわかりました。砂漠のようなところを想像していましたが、きてみると豊かな自然や水、植物などがありました。あざやかな、けれど繊細な色彩。ここに10年前からすんでいますが、ここで死にたいと思っています」

 どこの悪魔が日本人をこれほどまでにフラメンコに引きつけるのだろう。だれもが聞きたいところだ。ハルミは東洋の文化とフラメンコの間には密接な関係があるという。しかし、東洋人は彼らの感情を内面的な踊り、内へ向かって話しかける踊りで表現する。フラメンコは内に秘めたものを外へ向けて表わす。ハルミはたいへん異なる二つの性質をもっている。「非常に内面的な自分と、一方で野性的な自分。そう、後者の情熱はフラメンコによって引き出されるのです。」

 フラメンコへの情熱、踊り、ピアノ、絵画、色彩でとらえる熱情。。。ハルミにとってフラメンコの色とは炎の色、その炎のうしろには深い空間がある。「いく度となく、踊るときにこの赤を追及しました。とても危険な色、いつか火傷します。一つ教えましょうか?日本人とジプシーの間には同じ情熱があります。カミカゼを思い出していただければおわかりになるでしょうか。ただ、日本人の間では、人前で怒りの感情をあらわにするのは良しとしない習慣があります。フラメンコの一つの側面には、その怒りを芸術に変えていくところがあります。そこが、日本女性にこれほどまでフラメンコに情熱を傾けさせる原因になっているのでしょう」。

 そう、日本で「アンダルシアの芸術」に魅せられたハルミは、1990年、この地にやってきたのだ。 1989年、ハルミは東京で「雪女」を初演した。「雪女」は自然賛歌の作品であり、日本女性の優しさとフラメンコの情熱を合わせて表現した作品である。この舞台を最後にハルミは渡西するわけだが(訳注。それ以前にもマドリッドなどには何年もすんでいる)、わが国での「雪女」の公演はまだ実現していない。「時がすぎても雪女は愛する人を忘れない。ある寒い夜、彼女は美しい娘になって男の家の扉をたたく。男は娘を向かい入れ、熱いお茶を差し出す。彼女はお礼の気持ちを込めて彼のために踊る。終りに二人は一緒に踊り、そして抱き合う」(「雪女」第3幕より)。

 1990年、ハルミはヘレスに落ち着く。サンチャゴでしばらくラファエルとイネスとくらす。「私の両親のようでした」。近所の家族と同じように数年をともにし、フラメンコの世界の奥を知る。

 「私はまったく異なる文化圏からきました。ジプシーたちの生活は常に私を引きつけました。時にはその行動が理解しがたいこともありました。彼らはとても繊細です。皆、私によくしてくれました。私は日本人ですが、長い間、日本の服装をしていません。私にはジプシーたち、アンダルシアの人々とくらす必要がありました。それは自分探しの旅であったともいえます。ギターの音色、唄い手のしゃがれ声、どれも私に大きな影響を与えました。そして、今、長い時を経て、ヘレスに受け入れられたと感じています。時には日本人のやり方がふしぎに思えるくらいに。。。」

 そして孤独。ハルミの孤独。「私は孤独が好きです。それは暗くて静かなトンネルのように思われます。トンネルの終りには色あざやかな世界が広がるのです。そして、私はあらゆる機会に踊ります。つらい時、それを乗り越えるために踊ります。瞑想の時。。。孤独が必要です」

 このところ、ハルミは大忙しだ。最近では、あのグラナダのアルバイシン(Albaicin)でアントニオ・アグヘータ(Antonio Agujeta)やヘスース・アガラド(Jesus Agarrado)とともに大成功をおさめ、帰ってきたばかりだ。ハルミはいう。「アントニオ・アグヘータはアラブの王様のように舞台に登場し、再びグラナダを手中に治めました。あの時のアントニオは、唄っているモンスターのようでした」。

 ハルミはペーニャ・プラテリア(Pena Plateria)の舞台のあと、一人の日本人女性に会った。その日本人女性いわく、「今踊っていたのはスペイン人だと思った」。ハルミはそれを本当に誇りに思った。そして、踊っている間に何回も聞こえた「オレ!ヒターナ!」のかけ声。これこそ、彼女にとって何よりの光栄であった。 「今こそ、私の感じていることをすべて踊りで表現することができます。これからも毎回たくさんのことを感じていくでしょう」。

写真説明:樋口晴美(神奈川、1947年生まれ)。踊り全般とフラメンコの研究家。10年前よりヘレスに在住。幼少の頃より踊り始め、踊りに関するあらゆるテクニックを身につける。ジプシーの世界に魅せられ、これまでエル・トルタ(El Torta)、アントニオ・アグヘータ(Antonio Agujeta)、ペリキン・ニーニョ・ヘロ(Periquin Nino Jero)らとともに、踊り手としてアンダルシア中を公演してまわった。

前のページへ戻る

ページの最上部に戻る